台湾と明石元二郎

幼少、学生時代のころ
(2022/7/3:ドキュメンタリー映画「我、死して護国の鬼とならん」案内は一番下です‼)

・子供の頃の元二郎は、鼻水たれのヨダレたれで、アダ名を「ハナたれ」とよばれていましたが、非常に頭がよかったそうです。
大名小学校に県令、渡辺清(もと大村藩士)が視察に来たとき、よくできる子をえらんで、書の席上揮毫(きごう)をさせたそうですが、元二郎はそのひとりに選ばれます。

・県令の前で「精神」の2字を書いたのですが、「神」の最後の縦棒が勢いあまって紙からはみ出し畳の上に筆先が・・・
県令がおみえになるというので、新しい表替えをしたばかりの畳の上に、元二郎はかまわず、ずうっと筆を引っぱっていったそうです。

・陸軍幼年学校時代は、お稲荷様にお供えされた赤飯の盗み食い常習犯であり、また夜中にボートに乗って転覆させたりなど悪戯を繰り返していたが、教師や先輩、友人などから嫌われたり憎まれたりすることはなかった。
陸軍士官学校時代も、周りの同僚や先輩などから好かれており、何かにつけ明石のもとに集まったり、噂の対象になっていたという。

社会人になって

・絵葉書が好きで、玄関・応接間・寝室など家中に絵葉書を貼りつけた為、まるで7、8歳の子供部屋のようになっていた。

・あるパーティの席で、ドイツとロシアの士官がおり、ドイツの士官が明石にフランス語で「貴官はドイツ語ができますか」と聞いてきた。
元二郎は、「フランス語がやっとです」とわざと下手なフランス語で答えた。
すると、そのドイツの士官は、元二郎を無視して、ドイツ語でロシアの士官と重要な機密について話し始めた。
しかし、元二郎は、ドイツ語は完璧に理解しており、その機密をすべて聞いてしまったという。
元二郎は、フランス語、ロシア語、英語も完璧に理解していた。

・製図書きにも優れており、ある外国人のパーティに出席した際、名刺を忘れた人(八代六郎の為)にその場で器用に紙を裂き、まるで印刷してあったかのように文字を入れ、10枚ばかり即席の名刺を作成した。

・日露戦争後高官となった後も、明石は薄汚い布団で犬を抱きながら寝ていた。

・陸大時代は下宿に猫を一匹飼っており、軍服に猫の毛が付いたまま講義に出席していたようである。

・何かに熱中すると、ほかのことを完全に忘れてしまう性格でもあった。
上原勇作の手引きで山縣有朋と対談した時、どんどん話にのめりこんでゆき、しまいには小便を垂れ流していることに気がつかずそのまま熱弁を振るうに至ってしまった。
山縣もその熱意にほだされ、小便を気にしながら対談を続けざるを得なかったという。

・協調性に欠けていて風采が上がらず、また運動音痴であったとされており、ロシア公使館付陸軍武官時代の上司にあたる駐露公使の栗野慎一郎でさえ、彼の能力を見抜けず、開戦の直前に外務省に「優秀な間諜が欲しい」と要請したほどであった。栗野は、明石と同じ修猷館出身である。

・彼の行ったロシア革命工作は、後に陸軍中野学校で諜報活動のモデルケースとして講義されている。

・任務のため、スパイ活動や憲兵政治など社会の暗部で活躍したが、私生活では極めて清廉であった。
その一例として、革命工作資金の100万円(たぶん今の価値で100億)のうち27万円が使い切れずに残ってしまった。
本来軍の機密に関する金であり、返済の必要はないのだが、明細書を付けて参謀次長の長岡外史に全額返済した。
                                  (上記情報はインターネットより)

その方は福岡の人たちにさえあまり知られていない明石元二郎(あかしもとじろう)さん、福岡の出身の方です。

人物に大変興味を持ちまして2019年11月に台湾のお墓参りに行ってきました。
その時の動画、台湾と明石元二郎、「明石総督墓所」参拝・献です。
▼必見‼墓所のイメージが良くわかります(6分52秒

今回(7/3)のドキュメンタリー映画
明石元二郎「我、死して護国の鬼とならん」
場所:福岡市総合図書館 映像ホール・シネラにて上映します。
▼Facebookのイベントへ(ご都合がよろしければいかがでしょうか)楽しみです
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